第六章

「宇宙への梯子」

(後編)

* * *

どうやら止まったのは焼却プログラムだけではないらしい。

ギアの設備は軒並みダウンしているようだった。

それを補うべく、警備員たちが怒声をあげて走り回っている。

銀河たちにとって状況は大きく悪化したと言える。

相手が電子装置なら、レオサークルの能力でいくらでも攪乱できる。

だが、人間はどうしようもない。

屈強な肉体を金属プレートと防弾チョッキで武装した警備員たちは、みな一様に、肩からアサルトライフルをぶら下げている。お巡りさんの回転拳銃などとは、射程も威力も、比較にならない。対象を、確実に、迅速に、「無力化」するための、「兵器」としての銃だ。

彼らにどんな命令が出ているか、銀河はわからない。

子どもだから、命は奪うな、生かして捕えろ、そう命じられていると信じたい。

だがケイトの存在の危険性を、少なくともその可能性を思えば、即刻射殺の命令が下っていてもおかしくない。

そうすれば、見つかった時点で、本当に終わる。

銀河の足が竦む。震えを誤魔化すように、ケイトの手を強く握った。

ケイトが、その手を握り返してきた。

「君たち、何をしている、命令は届かなかったのか!」

不意に、大きな声がした。

「不審者は、D17ブロックに向かっている。止められるのは君たちだけだ。急げ。今すぐ全員向かわせろ」

銀河の良く知る声だった。

「通信が遮断されています。命令は届いていません。私の一存で、勝手に持ち場を離れるわけには――」

声の主は、どうやら警備の責任者と何かいい争っているようだった。

「かまわん! ベガ司令不在の緊急事態につき、私が臨時で指揮を執る。すべての責任は私が取る! 急げ、一刻を争う!!」

「わ、わかりました! おい!」

「は!」

警備員たちの足音が去った。

銀河はホッと胸を撫で下ろした。

その一瞬、無防備になった胸元を突くように――

「出てきなさい、銀河くん」

声の主が、銀河の名を呼んだ。

* * *

その声は温和だったが、有無を言わせぬ力を宿していた。

銀河の、良く知った人物だった。

渋谷長官。今は、元、の肩書きが付いたが、かつての銀河たちの「上官」……「一番偉い人」だったから。

その言葉に従うままに、銀河は、ケイトとともに、声の主の前に立った。

ガルファ戦役の後、栄転して、日本のギアから離れたはずの、懐かしい人の姿。いつもは、恰幅のいい体格に相応しい包容力を備えた、優しいおじさんだった。

だが、時と場合によっては、有無を言わせぬ厳しさを見せる。

ちょうど、今のように。

「今なら、私がなんとかできる。無茶なことは止めなさい」

鋭い眼光に気圧されて、銀河は声も出ず、何もできず、それでも、ケイトを後ろに庇った。

「仕方ないな」

渋谷は、それを、答えと受け取ったのだろう。

溜息をひとつ。

しかし目線はけして銀河から離さず……スーツの胸元から、鈍色の拳銃を取り出した。

ギョッとなる銀河に、渋谷はかぶりを振った。

「万が一があるといけないからね」

渋谷は拳銃をそのまま床に置き、

「安心しなさい。君たちを止めるのに拳銃なんていらないよ」

徒手空拳になって、渋谷がその体を大きく開いた。

柔道の構えだ。

その体は……銀河が、電童に乗って対峙してきたガルファ機獣よりも大きく見えた。

* * *

――――ギア長官を退任してから、どれだけ稽古を積んだのだろう。

確か銀河が最初に会った時点では、剣道二段、柔道三段、ついでに書道三段。

だが三年の間に、そこから磨きをかけたのだろう。今では合計で一体何段になっているのか。

……少なくとも、確実に自分より強い。

そんなことを、銀河は――床の上で考えていた。

――いつ、投げられたのかもわからなかった。

気がついたら、床の上にいた。

痛みはない。頭も体もどこも怪我をしていない。

長官が、そうしてくれたのだ。

その気になれば、受け身を取らせる暇も与えないまま、硬い床に頭をたたきつけることくらい造作もなかっただろう。腕や足を折るなりもできたし、もちろん、四肢を押さえて拘束するのも思いのままだ。

いずれにせよ、それで銀河の目論見は終わっていた。

そうなっていないのは、単に渋谷が、そうしなかった、というだけの話である。

「話は聞いている。君の気持ちは、わかる。気が済むまで、やろうじゃないか」

勝負どころか稽古にすらなっていない。

子どもの駄々に、苦笑交じりに大人が付き合ってくれているだけ。

これは、そういうものでしかなかった。

銀河は、立ち上がった。

立ち上がりはした。

どうしたら、いいかはわからない。

何をされたかもわからないのに、対策など立てられるわけがない。

ふと。

迷う視線に、何かが横切った。

鈍色の、重く光る、鉄の塊。

渋谷が置いた銃。

渋谷は強い。今の銀河ではたぶん勝てない。

だが、いくら強くてもただの人間だ。

ガルファの機獣じゃない。その体は、銃弾を跳ね返せるようにはできていない。

あれがあれば、勝てる。撃てば、倒れる。

銀河は渋谷を倒さなければならない。

倒さなければ先に進めない。

立ち上がった。

走った。

――渋谷に向けて。

銃に向けては、走らなかった。

それだけは駄目だ、という気がした。

それで、どうするのかはわからなかった。

考える前に動いていた。

「君はどうしてそうなんだ、ちゃんと考えて戦うんだ!」

誰かの声が聞こえた気がした。

これがオレのやり方だと、心の中で返した。

長官の大ぶりの腕が自分を掴もうとしてくる。

それが、今度はちゃんと見えた。

やけに大ぶりだ。それに遅い。

――これならば。

銀河が修めた少林寺拳法の技は、打撃ばかりではない。

大地を蹴った爪先の動きをいかに損なうことなく己が拳に乗せるか。それを突き詰めたとき、すべての基本となる円の動きに辿り着く。ならば、それを自分に向かってくる相手の拳、相手の勢いに対して行えば――

――投げた。

さっきとは逆に、今度は渋谷が、床に大の字になっていた。

なんで――? と思った。

「油断したな」

渋谷が言った。

そんなわけがなかった。

銀河の無言の抗議と質問に、渋谷は続けた。

「……銃に気を取られてしまった。君は、そんな少年ではなかったというのに」

それで、銀河は、長官の真意を悟った。

試されたのだと思った。

もしも。

もしも万が一、自分が銃に向けて走っていたら、おそらくは腕の一本、いや、その程度では済まなかったかも知れない。

「渋谷ちょ――、元、長官――」

銀河は言葉を探した。

「おおお、イタタタ、腰が、腰が痛い、どうやら不摂生がたたったようだ、お医者さんにも注意されていたのに仕事が忙しくてそのままにしていたツケがきた、おお、イタタ、まて、待つんだ、銀河くん、電童はその先にいる、けっしていってはならん、いってはならんぞー」

……言葉をかけるどころか目も当てられないような、三文芝居だった。

「いこう、ケイト」

手を握る。

「長官、ありがとうございます!」

それだけ告げて、銀河は駆けだした。

その先に待つ、蒼き巨人の元に。

* * *

そして、そこに彼はいた。

全高24.5メートル。

装備重量449.3トン。

蒼と白の装甲が、非常灯の赤を鈍く弾いている。

両腕両脚に一基ずつ装備された計四基のハイパープラズマドライブは、静かに沈黙していてなお、内に秘めたる圧倒的な力を感じさせた。

古代アルクトス文明により生み出された、地球人類の手が未だ届かぬ超科学の結晶にして、恐るべき機械帝国ガルファの侵略から地球を守り抜いた、大いなる戦士。

その名は電童。

GEAR戦士(ファイター)“電童”。

コクピットに乗り込んだ銀河は、ギアコマンダーを通じて、電童の操作系を単独操縦に切り替えた。

電童は本来、二人の操縦者が乗り込み、その意思と動作を共鳴させなければ動かない。しかし、ガルファとの戦いの最中、それを機械的に再現することで、必要に応じて単独での操縦を可能とする改造が施されていた。

「これで、アルクトスにいくの」

モニタに光が宿り、左側のコクピット――今や操縦系から切り離されて単なる乗席となったパイロットシートから、ケイトが聞いてきた。

「ああ、まずはカタパルトで宇宙に行く。地球脱出分のエネルギーを節約して、それで……」

『へえ。あんたにしてはよく考えてるじゃない。で、カタパルトの操作手順は?』

不意に、通信が飛び込んできた。

声の主の誰かは、よく知っていた。

質問の答えは、まったく知らなかった。

銀河は言葉に詰まった。

『あっきれた。何も考えていないわけ?』

その通りだった。

電童の元に辿り着けばどうにかなる。そう考えていた。

電童に乗れば目的地までなんてすぐだと。

だっていつもそうだったのだから。

でも、いざコクピットに座ってみれば……実のところ、どうすればいいかまるでわからなかった。

今までは、誰かがそれをかわりにやってくれていたのだ。

ギアの職員たちが、大勢の大人たちが、自分には想像もつかないような複雑な手順と計算とを自分のかわりにやってくれていて、だからこそ、自分は、座っているだけで良かったのだ……。

「エリス……」

『私は手伝わないわよ』

助けを求めようとした銀河の声を彼女はにべもなく遮った。

『バッカじゃないの、子どもじゃないのよ、電童はあなたのものなんかじゃない』

正論だ。

万事休す。

ここで、ここまで来て終わるのか。

『子どもに付き合ってられないから、私は仕事をするわ。新しいマニュアルが届いているの。カタパルトの電童経由での運用方法。安全のため、新しいマニュアルは、口頭で確認するよう、ベガ司令からも言われている。邪魔しないでね』

「エリス――」

『だから邪魔しないでって言っているでしょう』

銀河の言葉を遮って――エリスは淡々と読み上げ始めた。

――電童を、鋼の巨人を、マスドライバーで送り出すための、そのプロセスを。

* * *

『第一段階。総重量入力。違う。399.8トンの機体重量じゃなくて、装備重量のほう。そう。449.3トン』

「449.3トン、入力!」

『第二段階。ハイパープラズマドライブ、起動。電童を電磁カタパルトのイグナイターの代わりにする。Aドライブ二基、LR、LL――全基点火』

「A、LR、LL――全基、点火ぁ!」

両腕両脚のタービンが、唸りを上げて回りはじめた。

背中を、震動が突き上げてくる。

『タービン回転数、1223rpmで維持。上げすぎないで、電磁カタパルトのキャパシタがもたない。そのまま維持』

「1223rpm、維持!」

『ハイパーデンドーデンチ、残量確認』

銀河は計器を見た。

「大丈夫。二本とも満タンだ!」

1.5メガボルトの出力を誇る電童のエネルギー源がフルチャージされていることを、緑のインジケータが示していた。

『何が大丈夫なのよ』

けれど、エリスの声は、氷のように平らだった。

『たったの二本限りよ、交換なんてできない。電磁カタパルトで衛星軌道にまで上がる分を節約したとしても、アルクトスまではデンチ二本でギリギリ。途中で何かあったら、地球とアルクトスの間をずっと漂い続ける宇宙のゴミになっちゃうのよ。それでも行くの?』

「ああ」

『……バカ』

エリスは短く吐き捨てる。

『もう、どうなっても知らないんだから。第三段階。〈ラダー〉、電磁カタパルト、第一セクションより順次励磁。管制系を電童からの直接制御に切り替え。これでギアコマンダーから操作できるわ』

「わ、わかった」

『GEAR Fighter DENDOH Pilot, listen up, give me a go/no go for launch!(GEAR戦士“電童”パイロット、傾注、発射の可否を知らせ)』

「え、えっと……」

『いつもの発進とは違うのよ、きちんと確認しないと、何かあったら途中でバラバラになるわ、計器を目視でチェック! あんたの目が最後の安全装置、チェックしたらギアコマンダーをトリガー! いい!?』

「わ、わかった」

『射出用コクーンユニット』

「おっけー、じゃなくて――……と、トリガー!」

『電子兵装系(アビオニクス)!』

「トリガー!」

『通信系(ネットワーク)!』

「トリガー!」

『GNC(誘導・航法・制御)!』

「GNC、トリガー!」

『生命維持装置(ヴァイタル)!』

「トリガー!」

『Flight Control system, This is SPACE LADDER-GEAR Japan! We are go for launch, T minus 60 seconds and counting!(航空管制システム、こちらギア日本支部、スペースラダー、発進準備完了、発進まで60秒、カウント開始)』

格納庫に火が灯る。

電童の巨体が、リフトに固定される。

『FORTH GATE OPEN, FORTH GATE OPEN!(前方隔壁開け、前方隔壁開け)』

電子音声のアナウンスと共に、正面の隔壁が開いた。

11キロメートルの、天へと昇るための梯子が姿を現す。

『電磁カタパルト、出力臨界――、電童発進!!』

カウントゼロで、慣性制御装置でも消しきれないGが来た。

「エリス、ありがとうな……!!」

叫んだその言葉が届いたか、どうか銀河はわからない。

空気抵抗を軽減するために装着された流線型のコクーンユニットに包まれて、水飛沫とともに海上に設けられたマスドライバーのレールを電童が疾駆した。エリスも施設も星見町も、あらゆるすべてを、後ろに置き去りにして。

海と空とに二分割された世界の先で、仰角が上がる。

47度。

視界が空で埋まる。

三秒。

電磁カタパルトの先端に至るまで、たった三秒。

11キロ分の慣性を受け取って、電童は飛翔した。

「うおおおおおおおおおっ!」

思わず、銀河は叫んでいた。

空の色が、急速に濃くなっていく。

海と鏡写しの水色が群青に、群青が藍に、そして藍が、星の輝きを湛えて夜空の色へと染まっていく。

振動が消えた。音も消えた。

最早、目の前に広がるのは、空ではない。

何百億もの星の光を湛えた、宇宙だ。

高度、400キロメートル。速度、秒速7.9キロメートル。

地球衛星軌道――第一宇宙速度。

地球の周りを回る無数の衛星たちと併走しながら、銀河は今、宇宙にいた。

眼下に、地球がある。

銀河の生まれた場所。青く輝く水の星。

それを、銀河は、足元に見下ろしている。

「……これが、地球なんだ」

誰かの声がした。

「地球って、蒼いんだね」

ケイトがぽつりと言った。

「蒼くて、大きくて、とっても綺麗」

銀河は「ああ、そうさ」と応じた。

「オレたちの、オレたちとケイトの星だ」

とりわけ、ケイトの、のところに力を込めて言った。

この蒼い星の上で、オレたちはみんな暮らしている。

争う必要なんてどこにもない。

きっとオレたちはわかり合える。

理屈ではない。

久しぶりに見た宇宙からの地球の姿に、なぜだか、強く確信できた。

「銀河」

ケイトが指さす先。

「あっちも綺麗」

地球を照らす太陽と、地球の衛星たる月、そして月の影に隠れるようにして、まるで地球の写し身のように、同じ色を纏った星が見えた。

太陽系十番惑星、アルクトス。

地球から約40万キロ隔たった月の、遥かな先のそれが、銀河たちの目的地だ。

月と、太陽と、そしてアルクトス。

その三つの星を背にして。

電童の行く手を阻むように。

黒い影が、立っていた。

銀河の呼吸が、止まった。

全高28.5メートル。

鋭く天を刺す一本角の分、それの全高は電童よりも大きい。

白と蒼の電童に対して、それが纏う装甲の色は漆黒と真紅。

頭部を覆う仮面の奥で、二つの真っ赤なカメラアイが、意志の光を宿して爛と光る。

その名は、凰牙。

――騎士(ナイト)GEAR“凰牙”。

「……嘘、だろ」

銀河の口から、声が漏れ出た。

通信が、繋がった。

ノイズひとつない、澄んだ声だった。

『そこまでだ、銀河』

草薙北斗の声だった。